『バチバチ』『バチバチBURST』『鮫島、最後の十五日』は、現代のスポーツ漫画では希少な“命を懸ける覚悟”を描ききった相撲マンガ三部作。その中に刻まれた、現代人が忘れた矜持と死に様の美学を読み解く。
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■ 忘れられた「神事」としての相撲
『バチバチ』シリーズがまず他の相撲漫画と一線を画しているのは、相撲を“スポーツ”ではなく“神事”として描いている点だ。
取組の前に清められる土俵、神の依代としての横綱の存在、命を削ってでも全力を尽くす力士たち。
そうした描写には、単なる勝敗を超えた「命の使い方」や「生き様の記録」としての美学が宿っている。現代では忘れられがちな“神に近づく行為としての勝負”が、全編に貫かれている。
■ スポ根の終焉と、異次元バトル全盛の中で
今やスポーツ漫画はファンタジー的要素や特殊能力を加えた“異次元バトル”が主流だ。現実感のある泥臭さや、試合の外にある人間模様は背景に追いやられつつある。
そんな風潮の中で、『バチバチ』三部作は異色だった。
汗、傷、怒号、沈黙、そして命を懸けた“取り組み”。その全てが読者の心に刺さるのは、作品の根底に「生き様」そのものが描かれていたからだ。
■ 画力と覚悟が跳ね上がる終盤
シリーズが進むにつれて、作者・佐藤タカヒロ氏の画力は圧倒的に研ぎ澄まされていく。
細部の書き込みは最小限になっていくのに、取組の迫力や“間”の表現が逆に増していく。この矛盾したような進化は、井上雄彦の『バガボンド』にも通じる“静の中の激しさ”を感じさせる。
そして、その進化の果てに待っていたのが『鮫島、最後の十五日』で描かれた、まさに“命の十五日間”だった。
■ 命を懸ける──古き日本人の生き様
『バチバチ』シリーズには、“命を賭して何かを成す”というテーマが全編にわたって貫かれている。
それは一見すると時代錯誤なようにも思える。だが現代の「効率」や「コスパ」ばかりを重視する社会において、無駄と呼ばれるような“覚悟”や“魂”が描かれることの意味は大きい。
特に主人公・鮫島鯉太郎は、身を削り、孤独と対峙し、命を燃やして土俵に立ち続ける。
それは現代に生きる私たちがどこかで失ってしまった、“何かのために自分を使い切る”という精神そのものだ。
■ 「死に様」の美学と、語られなかった最期
『鮫島、最後の十五日』の最終回は描かれることなく、作者の急逝によって物語は幕を下ろした。
だが多くの読者は、あの物語の結末を「鮫島は横綱に敗れ、土俵の上で命を燃やし尽くす」ラストで終わると感じていた。
それは決して敗北ではなく、“神の依代に力を尽くして届かず、そこで命を終える”という、武士道にも通じる散り際の美学。
「死に場所」を選び取るようなその覚悟は、現代人が忘れた“終わり方の美学”を突きつけてくる。
■ 現代を生きる私たちへ──生き切るとは何か
この三部作を読み終えたあと、胸に残るのは単なる感動ではない。
「自分は何のために命を使っているのか?」 「この生き方に矜持はあるか?」
そんな問いが、静かに、しかし確実に読者に突きつけられる。
『バチバチ』シリーズは、マンガという表現を通じて、“本気で生きるとはどういうことか”を現代に残してくれた作品である。
土俵の上に刻まれた命の記録は、きっと今を生きる私たちにこそ必要な、ひとつの生き方のヒントになる。